2017年02月07日

第7回「地域包括ケア時代の在宅医療連携を考えるワークショップ」から

2月4日に行われた、表記ワークショップは、京都府医師会の「認知症かかりつけ医対応力向上研修」および地区医師会の「認知症ケアパスコーディネート研修」をかねて開催され、会場のキャパ一杯、160人を超える多数のご参加を頂きました。ありがとう御座いました。参加者の内訳は、医師が約60名、医師以外の多職種が約80名、地域の民生委員さん方が約20名と、行政からの参加もあり、文字通り地域一体となって考える場が生まれました。3時間に及ぶ講演とパネルディスカッションの詳細は、後日、中京区在宅医療センターのダウンロードページにアップされる予定のまとめをお待ち頂くとして、この会で、今後の地域包括ケアの見取り図を考える上でたいへん重要で、かつシンプルなキーワードがいくつか生まれました。まず一つは花戸先生の「病気」と「元気」の対比です。普通は「病気」に対して「健康」が対置されるのですが、そうすると、「健康」は「病気でないこと」という古い定義になってしまいます。でも、「病気」に「元気」を対置させることで、「健康」は「病気であっても障害があっても元気でいること、いられること(ニーズが充足している、社会に貢献している)」という最近の定義に変わります。「地域まるごとケア」の実践からうまれた、味わうべき言葉です。「健康長寿のまち京都」の「健康」もこのように定義して欲しいですね。花戸先生のことばのもう一つは、「頼れる先はたくさんあった方が良い」です。実は、障がい者と健常者をわけるのは、依存しているか自立しているかではなく、依存出来るものが限られているか、無数のものに(少しずつ)依存しているかの違いに過ぎないという考え方があります。我々は誰しも一人では生きられないのですから。依存出来るものが少なければ、その人の生活もしくは人生の不全感が大きくなります。「頼れる先がたくさんある」ことで、その人の自立感、安心感が生まれます。最後の三つ目は、これはファシリテーターの宇都宮氏からの「困った人がいるのではなく、困っている人がいる」です。これは、「地域ケア会議から」として紹介された、難病指定を受けている認知症である前頭側頭型認知症の、その「社会脳の障害」の話を受けて、その困っている人の困っている理由を(医学的に)理解して支援する見方を、これもシンプルに表現されたものです。このような厳しい状態の障害を地域一体となって支援する、それこそが社会脳の働きであるということでもあります。この三つの言葉に加えて、府立洛南病院の森先生のことばである「大変な人がいるのではなく、大変なときがあるだけ」という、時間軸の変化を表す言葉をくわえると、認知症ケアパスのイメージはできあがります。そして、この言葉は、認知症のみならず、すべての病気や障害の支援、つまりは地域包括ケアに、あるいはもっと広義に人生そのものに当てはまる言葉かもしれません。
posted by スクルージ at 06:38| Comment(0) | タイムライン